Q&A|ロミオとジュリエットにならない為に

ロミオとジュリエットにならない為に

少し前、インドでの恐ろしい事件、悲しい事件が取り上げられているのを目にしました。
バスに乗車中の女性大生が、男性から集団暴行され悲しくも死亡してしまうという事件が一番有名ですね。
お恥ずかしい限りですが、私はこの事件をきっかけにインドでの女性蔑視の実情を知ることとなりました。

学生時分、インドのカースト制度は1950年に制定された憲法によって禁止され全面廃止となった、インドは今では差別もなく平和であると学んだものです。
しかし実際ではカーストというのはインド社会に深く根付いているものであり、それに起因するトラブルや事件、殺人なども日常茶飯事のように起こっているようなのです。

読売新聞2013年2月某日の朝刊にて以下のような記事を見つけました。
「インド愛の逃避行お助け 弁護士ら 名誉殺人の悪習に対抗」

というものです。
愛の逃避行・・・?
とってもキャッチーなタイトルに惹きつけられて記事の内容に目を通すと、”恋愛”という言葉ではとても表現しきれない、インドの根深い差別と女性蔑視の実情が見えてきてとても衝撃を受けました。

まずインドにはカースト制度が根強く残っているのは現実としてあるようですね。
カースト制度の成り立ちや、その細かな分類方法などは今回省かせていただくとして、インドの方々には生まれながらに背負う謂わば”家柄”というものがある。そしてそれは明確に区切られており、順位付けされ、それがお互いの家々にわかるようになっているようです。それがカーストというものです。
○○さんのカーストは△で、●●さんのカースト□よりも身分は上。などと、はっきりとしているようです。

しかし、こういった悪習を重視するのはあくまで年配者のみであり、10代20代の若者たちはカーストへの関心が薄い分、どうして自分たちがそれに縛られなければならないのか理解できず苦しい日々を送っているのです。
その最たる理由は、カーストによって恋愛する相手、結婚する相手が規制されるからです。
つまり、愛し合う本人たちはお互いのカーストなど気にしなくとも、その両親たちはカーストこそを尊重します。とすると、カーストによって結婚相手を判断するわけです。
ここで問題なのは、相手のカーストが良ければ受け入れる、悪ければ受け入れない、という単純なものではないということです。カーストの善し悪し、というよりは「カーストが異なる」ことこそが問題となるわけです。
カーストが一般的に普及していた頃は、カーストが同じ者同士でなければ結婚は許されませんでした。
つまり、未だに異なるカーストの家との結婚は許されないという風潮があるということです。

そして、ここからがインドの恐ろしいところです。
インドでは、”名誉殺人”という恐ろしい風習、悪習が横行されています。
具体的にどういうことかというと、女性の婚前・婚外交渉を女性本人のみならず「家族全員の名誉を汚す」ものとみなし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が、家族の名誉を守るために女性を殺害する習慣のことです。

かつての日本では、仇討ちは江戸期には正式に法制化された風習であり、それを成し得た人は名誉を与えられていました。仇討ちを目指している人に対して道行く人がそれを手助けする、といった場面も多くあり、「助太刀」という言葉の由来ですね。
そんな日本の仇討ちと名誉殺人、大きな違いは身内を殺すか相手側を殺すかの違いでしょう。
日本の敵打ちでは、例えば自分の娘を辱めた輩がいた場合、その父親は辱めた相手を殺します。
しかし、インドの名誉殺人の場合、父親が「うちの家名を汚した」として、娘の方を殺すわけです。
イスラム教やヒンドゥー教圏内での国や地域で行われているようですが、多くは近代化されていない片田舎などで行われていることが多いようです。

地元に根付いた差別やカーストですが、日本の敵討ちが廃れたように、時代を経るごとにそういった悪習というものは風化していくものです。インドでもインターネットの普及などで外部の情報が田舎の方にまで入るようになり、それに触れて育った若者たちは、自分たちの地域に根付く風習をおかしいと気づく機会があります。
しかし、その若者たちの親世代は、かつて自分が親にされてきたように自分の子供たちにその悪習を強いるわけです。
ようは、同じカースト、つまりは親たちが決めた相手との結婚を断ったり、勝手に結婚相手を連れてきたりすると、自分の娘だろうが息子だろうが、家族が当人たちを殺そうとするのです。

自分の家族に殺されそうになり、命からがら逃げてきた。
そんな若者たちの行き先、受け入れ先となってくれるのが、インドで弁護士達が立ち上げた「ラブ・コマンドー」というグループです。
主に女性が殺されることとなる名誉殺人の撤廃を求める運動を基盤とし、全国の弁護士やジャーナリストがボランティア隊員として参加し、全国の若い男女の自由恋愛に基づく生活を支援しているのだそうです。

根付いた差別や家族内での殺人といった悲しくも恐ろしい現実の中で、それでも一緒になりたいと身一つで家族の元から逃げてくる若者カップルのSOSは、言葉通り命懸けのものだそうで、「今日寝床にいたら、無断で部屋に入られた。物音に気づいて逃げてきたが、そのまま寝ていたら殺されていたと思う。」といった緊迫感に包まれた状況の問い合わせが多いそうです。

逃げてきたこの若いものたちこそが、インドの希望の光だと私は思います。
それは差別や家族内殺人から無事逃げることができたという意味もありますが、今後インドが近代化を図るために必ず乗り越えなければならない”悪習との決別”をいち早く成しているからです。
そして、なによりもまず、彼らは”本当の愛”というものにすでに出会っているからです。

親の決めた相手やカーストに縛られることなく、自分の身一つで愛しいと思った相手と一緒になる。
これはあらゆる人間に対して訪れる普遍的な願望でしょう。
それは、所変わったここ日本でもみんなが抱き続ける願いでもあります。


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